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■■2004年8月8日発行■■


危ない!あぶない!与党案


教育基本法解体の危機


 自民・公明両党による「与党教育基本法改正に関する検討委員会」は6月16日、「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について」の中間報告をまとめた。近く最終報告を出すが、両党は教育基本法の全面改訂をめざして、この与党案を政府提出法案(来年1月の通常国会を予定)にすることにしており、戦後教育の大黒柱だった教育基本法は、いよいよ解体の危機に直面することになった。
 与党案は、教育基本法改定を求めた2003年3月の中央教育審議会答申を踏まえつつ、より一層、政治的な内容になっている。そのねらいは大きく括って二つある。一つは、国家に都合のよい体制順応型の日本人づくりであり、もう一つは、政治・行政の教育に対する権限強化である。
 中間報告を現行基本法と比べながら細かく見ていくと、次のような重要な削除と追加が見られる。

 まず、第1条の「教育の目的」。「人格の完成」は残しているが、「平和的な国家及び社会の形成者」(の育成)を削除し、単に「心身ともに健康な国民の育成」としている。「平和」という言葉を削ったことは誠に重大である。
 そして第2条の「教育の方針」を「教育の目標」に変え、現行法の「個人の価値をたっとぶ」「自主的精神」「学問の自由」を削除し(これも看過できない)、「道徳心の涵養」「健全な身体の育成」「自律性の涵養」「伝統文化の尊重」などの文言を登場させている。
 このくだりで中間報告は「愛国心」関連の記述両論併記している。すなわち自民党が主張する「国を愛し」と公明党の主張する「国を大切にし」である。いずれにせよ、ここでいう「国」は「統治機構」を意味するものではないという認識は一致しているという。

 第3条の「教育の機会均等」では、「ひとしく、その能力に応じて」の「ひとしく」が削除され、「能力に応じた教育」だけになっている。さらに教育差別排除の対象とされた「社会的身分」「経済的地位」「門地」も消されている。これは教育の機会均等を崩すものである。
 さらに問題なのは第10条の「教育行政」の改定だ。現行法は「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う」と規定しているが、与党案では、「教育」が「教育行政は」に変えられ、「国民全体に対し直接に責任を負う」がカットされて、教育行政が“責務”という名の権限を握り、教育内容にまで「介入」できるよう改悪しようとしている。これは、教育(特に学校教育)を、国家が教えたいことを教え国家に忠実な国民を育てる道具にする道を開くものである。


ますます強まる政治の教育支配

 そして、国と地方公共団体は教育施策の策定と実施の責務を有することを明記している。これは国と地方の教育行政の権限を強化することであり、規制緩和の時代の流れに逆行するものである。また行政の背景には、それを動かす政権党があることを考えると、政治の教育支配を強めることにもなる。「国家の教育権」をきちっと謳い込もうというわけだ。
 これに関連して指摘すれば、現行法の「学校教育」(第6条)で規定している「教員は全体の奉仕者」も削除され、「教員は崇高な使命を自覚し」と聖職者的な扱いをし、さらに「研究と修養に励むこと」を求めている。
 このほか「義務教育」(第4条)の「九年」を削除し、義務教育の期間は「別に法律で定める」としている。これは6・3制見直しに道を開くものである。


教育ジャーナリスト・矢倉 久泰


 (注)市民連絡会ニュース(2004・8・8発行)に掲載した「危ない!あぶない!与党案」には、プリントミスがありました。HPでは訂正して掲載してありますが、重大なミスでしたので、ニュースの次号(2004・12・5発行)で、次のような補足を加えました。


■■2004年12月5日発行■■


「教育」を国家の道具に


教基法改悪の核心

<はじめに>
 ニュースの前号に重要なミスがあり、次のような《訂正とお詫び》をHPに載せたり一部に添付したりしました。改めて掲載するとともに、多少の補足をして、市民連絡会としての考えと姿勢を提起したいと思います。
 「教育基本法『改正』反対市民連絡会ニュース」8月8日発行号に付けた「危ない!あぶない!与党案」1ページ目の「教育基本法解体の危機」に校正ミスがありました。お詫びして訂正します。
 右の段の上から12行目、「現行法(第10条は)は『教育行政は不当な支 配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う』と規定しているが、……」とあるのは間違いで正しくは「教育は不当な支配に服することなく……」です。 与党案の「中間報告」では、「教育」が「教育行政は」に変えられ、「国民全体に対し直接に責任を負うがカットされて、教育行政が“責務”という名の権限を握り、教育内容にまで「介入」できるよう改悪しようとしています。現行法の教育行政の規定は、「教育」を主語にしているのです。改悪は、教育(特に学校教育)を、国家が教えたい ことを教え国家に忠実な国民を育てる道具にする道を開くもので、今回の改悪の中心点というべきものです。まさに「子どもは『お国』のためにあるんじゃない!」に逆行します。

 中間報告にみる与党案は、「愛国心」や「伝統文化の尊重」「畏敬の念」などで揺さぶりながら、狙いの核心は「前文」と「第10条(教育行政)」の文字通りの改悪にある、と見たほうがよさそうです。
 「第10条」では《訂正とお詫び》に述べたように、教育(学校)を「国家による国民統治のための有効で強力な道具」にするとともに、教育内容にまで及ぶ「教育振興基本計画」を国家(文部行政)が決めて、予算付で地方に下ろして一見分権的に地方にやらせる仕組みと権限を定め、国歌による教育(学校)支配の体制を固めようというものです。改悪案では、教育行政は「不当な支配に服することなく」(つまり市民運動や教職員組合の要求などにたじろがずに)国家の思いどおりに教育権限を行使し、国家に必要な教育をやれ、なのです。「愛国心」は「国を大切に」と表記しようと、すでに学習指導要領に「郷土や国を愛する心」「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てる」と明記され、伝統文化の尊重とセットになっています。「畏敬の念」も同様に、「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」と道徳の項に明示されています。ですから「愛する」か「大切にする」かの違いは、まさに茶番です。論争するなら、せめて「愛アジア心」「愛地球心」「愛人類心」で、してもらいたい。いま必要なのは、世界の「愛国心を超える」つながりなのですから。


長谷川 孝(市民連絡会共同代表)

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