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■■2006年4月号外■■

●「憲法・教育基本法の破壊を許さない! 3・10市民集会」報告●

 3月10日に市民連絡会の呼びかけで15市民団体の共催により開催した「憲法・教育基本法の破壊を許さない! 3・10市民集会」の報告として、子どもと法21(子どもの育ちと法制度を 考える21世紀市民の会)の依頼で、同会の通信4月号に長谷川が書いたものを、同会のご了解をいただき、転載します。


憲法・教育基本法の破壊を許さない! 3・10市民集会
教育と、人権や平和の社会への”破壊活動”は、市民が許さない!

   「ホントに このまま進んでいいの!」――こんな呼びかけを掲げた「憲法・教育基本法の破壊を許さない! 3・10市民集会」が06年3月10日に、東京・杉並区内の会場に組織動員ではない市民たち約300人が参加して開かれました。教育基本法「改正」反対市民連絡会が呼びかけ、子どもと法・21など15市民団体の共催と、16の市民団体などの賛同で開催した市民集会です。
 集会では、教育基本法(以下、教基法)には、私たちの日常の生活感覚ではまったく「あたりまえ」のことが書かれていることを再認識しました。それとともに、その改悪は私たちが生きる社会――個人の尊厳や基本的人権、非戦と平和、自治や民主主義など憲法の理念を生かせる社会――を”破壊”するものだということと、それを阻止するのは地域での「市民の力」だということを改めて確認しあいました。


◆地域・市民への攻撃である憲法・教基法改悪

 この集会は、「市民」集会であることと、「杉並」区内の会場で開いたことに、意味がありました。
 法を守らない”ホリエモン人種”が政治・行政権力を好き勝手に振るい学校教育を支配し、子ども・保護者や教員の良心の自由を踏みにじる東京都と東京都教育委員会。その東京で、首長による教育への露骨な政治介入(不当な支配)を強行し、教育行政がその手先となって「つくる会」教科書の強引な採択をした杉並区です。「つくる会」教科書の「8割は東京で使われている」というのが、東京における”教育破壊”の一断面なのです。
 東京、そして杉並で強行されている現実は、憲法・教基法の理念・精神、そして個々の条文の規定へのT破壊Uです。国会での教基法条文の「改正」を先取りする政治と行政の横暴です。まさに地域で、この”破壊”が激しく進められているのです。
 こうした現実は、子どもも含めた地域の市民の人権や自治権、良心の自由や市民としての主権などへの侵害を意味します。また、子どもたちと保護者のもの、地域の市民のもの、地域のものであるはずの学校と教育が、政治権力・行政権力に奪い取られようとしている状況です。権力が学校教育を乗っ取り、彼らのやりたい教育を好き勝手にやろうとしている、ということです。だから、地域で進んでいるこの現実は、その地域の市民に向けられた攻撃なのです。そういう攻撃としての憲法・教基法の「改正」=改悪だといえます。
 それゆえに、市民が、自分が生活する地域で、こうした問題への認識を共有し、こうした権力の攻撃に反撃し、その活動を拡げていくことが大切だ。杉並で、市民集会という設定には、こういうメッセージがありました。


◆すでに人権はないがしろにされている

 「すでに、私たちの基本的人権がないがしろにされている」という言葉で集会は始まりました。人権、それは〈いのち〉の権利としての生存権、表現・思想・良心・信教などの自由権、社会や文化について知ったり参加したりする社会権と幅が広く、現在の私たちの生活・生き方の土台となっています。この社会における人間としての権利です。それを具体的に実現する場が地域です。地域の学校とは、こうした人間としての権利を学び身につけ、市民として育つための場であるはずです。
 こうしたことが、政治においても地域においても「ないがしろ」にされているというのが、「3・10市民集会」の基調にありました。しかも、こうした捉え方や考えが、地域の市民の間にけっして広く行き渡っていないのが現状です。それが、大衆ファシズム的状況を生み出し、情緒的な政治への支持を支えているのです。
 集会はまず、杉並区の中学校であった教科書採択の資料となる「調査報告書」の強権的な書き直しにかかわる実態など、教育現場からの報告。続いて、マルチン・ニーメラーの「痛恨の回想」の中の詩句を朗読しました。今、地域でこの国で進んでいることは「他人事」ではないよ、というメッセージとしての朗読です。

「ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がったが、その時はすべてがあまりにも遅かった」。

 この「教会」を生活や学校に、「牧師」を市民や保護者に置き換えれば、まさに今のことなのです。朗読は、参加者の胸にしみていったように感じられました。ついで、「今、東京都で起こっていること」、「新しい歴史教科書をつくる会の現状」、佐々木光明さんの「子どもたちの現状(少年法)と教育基本法」の報告と続き、池田香代子さんと伊藤美好さんの対談に入りました。


◆ 生活の言葉で語られた教基法の「あたりまえ」

 対談は、お二人の著書『11の約束 えほん教育基本法』の生活の言葉に訳して書かれた全条文の朗読から始まりました。第10条の「不当な支配」は政治権力や官僚による支配であることを制定の歴史を踏まえて明確にして翻訳≠オていることを含め、生活の言葉で語られた教基法の条文は、じつに当然のことを述べていると実感されたのではないでしょうか。
 その、生活感覚として「あたりまえ」のことが、今、反故にされ政治の権力の言葉で書き換えられようとしているのです。生活の言葉が政治や権力の言葉に乗っ取られたとき、それは戦前の天皇制国家主義の時代の今風を装った再現です。子ども観や教育観も政治や権力の言葉で語られる時代です。子どもが「少国民」とよばれ、小学校が「国民学校」と呼ばれた時代です。
 生活感覚としての「あたりまえ」は、デンマークなどヨーロッパの多くの国では地域や市民の生活、学校教育の中であたりまえに実現されています。子どもたちは、学びの中で疑問を持ち問い返し、選択し判断し、自信を持って自らの考えを表現する、といったことが語られ、参加者の共感を呼んでいました。 
こうした学びをとおして、子どもたちは自分を自分として自分で育て、市民が育ち市民の力が根を張るのです。憲法の理念・精神(理想)の実現を「教育の力にまつ」と謳った教基法。この憲法と教基法が想定したのが、こうした子どもの「育ち」の姿であり、市民の存在であった、といえます
 憲法・教基法の破壊≠ヘ、子どもの個人の尊厳、1人の人間として保障されるべき個人の価値や基本的人権をないがしろにする社会をつくります。その社会で行われる教育は、子どもを統治の対象、支配の材料とします。義務や責任を(そして国家への奉仕や愛国心も)身につけてから尊厳や権利を主張しろ、と教え込む教育体制を押し付けます。――まさに市民の「あたりまえ」への”破壊活動”です。これを許すことは、できません。地域で市民の力を結び合わせ”破壊活動”にストップをかけよう! 「3・10市民集会」の確認です。

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 なお、集会3日後の3月13日に東京都教委は、日の丸・君が代の生徒への指導の徹底を求める通達を出しました。「3・10市民集会」実行委員会は3月24日、子どもと保護者および教員の良心の自由を尊重し、学校と教員を「強制の道具」にしないように求める、「『3・13通達』に抗議し撤回を求める抗議声明」を出しました。個人の尊厳および基本的人権の尊重と実現を基調とする「憲法・教基法の《良心》と《願い》の破壊を許さない!」という「3・10市民集会」の主題を踏みにじる通達であることから、実行委員会としての抗議声明を出すことにしたものです。(声明文は、教育基本法「改正」反対市民連絡会および子どもと法21のHPに掲載しています)。

長谷川孝(市民連絡会共同代表)

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